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2012/2/7 「八日目の蝉」 角田光代 中公文庫

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)

物語は大きく第一章・第二章からなり、第一章では幼児誘拐をめぐる話を犯人の希和子の視点で語られており、第二章ではその誘拐された過去を持つ恵理菜(希和子からは薫と呼ばれていた)の視点で、その誘拐事件から20年近く経過した時代の話が描かれている。

あまり物語の内容を語ってしまうのは良くないことだと思うので、印象的であった部分を以下にあげる。

誘拐犯であるはずの希和子が実の娘を想うように恵理菜の幼少期を育て、自分のことを後回しにしてまでもまず第一に子供のことを考えること。
この子とずっと一緒にいたいと願うこと。
小豆島という自然豊かな瀬戸内の島の景色をこの子に見せる義務が自分にはあるのだと思っていること。

この物語の第一章ではそんな希和子の気持ちが、読んでいて痛いほど自分の胸に突き刺さる。でも現実には希和子は誘拐犯であり、そこには本当の法律上の親子関係などは存在しない。
だからこそ、この親子愛は胸を刺すように文章が場面として頭の中に広がる。

いつしか読んでいる読者も、この希和子と恵理菜がずっと一緒に居られることを願うようになるはずである。

しかし現実にはそんなにうまくいくはずも無く、希和子と恵理菜は引き離されてしまう。

そんな恵理菜が大人になり、妊娠する。

その父親は奇しくも、希和子と同じように不倫していた。

恵理菜自身、希和子から受けた愛情を忘れようとしていたし、希和子は自分の家庭をめちゃくちゃにしたんだと思い込むことにより記憶の奥底に希和子を隠し、それにより自分自身も見失っていた。
希和子は自分の子供を生まなかったが、恵理菜は生むことを決意する。心の奥底に隠しているつもりではあるものの、恵理菜には常に希和子から受けた愛情の影響を受けているはずであり、そのことに段々と気づいてくる。

自分が母親になれるのか、実の母親には冷たくされ、人の優しさを感じたことがないと思っている恵理菜はでも実は希和子からのたくさんの愛を受けていた。たくさんの綺麗な景色を見せてもらっていた。自分の子供に見せる義務が自分にはある。


第二章、物語の場面は常にどこか暗く、白黒の印象を受けていた。しかしラストでは鮮やかに物語の場面に色彩が戻ってくる。
また小豆島の美しい景色と、自分は母親になる。子供を育てる。おなかの中に居る自分とは違う人にこの世界の景色を見せてあげる。という決意の元、最後に大きく成長する。


もうひとつ。恵理菜と引き離された希和子について考えてみたい。
彼女は実刑判決を受け、何年後かには出所する。でもそこにはずっと一緒にいたいと願った恵理菜(薫)はもういない。
生きる気力は無いと思う一方で、でもまだ生きるんだなと思っている。

それはやはりほんの少しでも薫と一緒にいれたということ、薫と一緒に本当に綺麗な世界を見れたという事実が希和子の心の中にまだ生き続けるという火を灯しているのではないだろうか。
確かに犯罪を犯し、ひとつの家庭を壊してしまった。でも薫に注ぐ愛情は本物であったし、恵理菜は最終的にその愛情に救われている。

小豆島に行きたくてもフェリーに乗れない希和子の気持ちはいったいどいういうものなのか。

もう一度薫を始めて抱きしめた時に戻れるとしたら、やっぱり連れ去ってしまうのではないだろうか。



読んでいて、どうしようもない男たちと、そのどうしようもない男たちにそれでも頼らないと生きていけない女たちの物語という印象をずっと持っていたが、最後に女性たちは強く、母は強く、生きること、愛情のこと、人生のこと、様々なことを考えさせられる。


あと第1章と第2章の物語の比重の置き方がちょうどいい。第1章の長さに比べて、第2章の長さが長ければすごい重たい話になってしまうし、短ければ薄っぺらい感じになってしまう。
絶妙な構成であったと思う。

ありきたりな表現となってしまうが、本当にひとつの映画を見たような胸に残る話だった。